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ホーム > 大学教授、医学博士として > 人物紹介『三浦守治』

三浦守治 (1857〜1916)

山極先生
三浦守治肖像
『東京帝国大学病理学教室五十年史』上巻
(東京帝国大学医学部病理学教室五十周年記念会
・1939・東京大学医学図書館所蔵)より

安政4年4月30日磐城国三春(現福島県田村郡三春町)に生まれる。苦学して明治14年東京大学医学部を首席で卒業。同級に森鴎外がいる。明治15〜20年にかけてドイツへ留学し、病理学病理解剖学を学ぶ。帰国して間もない明治20年3月17日、帝国大学医科大学教授に就任し、病理学病理解剖学を担当することになり、この日が病理学教室創立の日とされている。明治24年医学博士の学位を授与され、同39年には帝国学士院会員に任じられる。山極勝三郎の恩師であり、当時国民病とされた脚気の研究のほか、ジストマ、マラリアなど各分野の研究に貢献した。

明治43年退官。大正3年東京帝国大学名誉教授。大正5年2月2日、急性腹膜炎により死去。遺体は遺言により病理解剖に付された。享年59。

歌人佐々木信綱の門下として和歌に優れ、東京大学医学部2号館本館の東入口には「世の中の風あらく吹きしきるとも 心の海に波なたてそね」の歌碑が掲げられている。