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ノーベル賞の有力候補となる(5/5)〜晩年〜受け継がれる志
■ 東京帝国大学名誉教授辞令 大正13年(1924)3月19日、東京帝国大学医学部名誉教授となる。勝三郎は退職後も研究室に通い、研究や後進の指導にあたった。 |
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■ アショフ教授来訪記念 大正13年(1924)、病理学教室玄関前にて。アショフ教授はフライブルク大学(ドイツ)の高名な病理学者。長与又郎、緒方知三郎、清野謙次、田原淳らが留学中に師事した。 |
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■ 三女花子宛手紙 大正15年(1926)3月14日付。前年結婚して大阪に住む娘に父親らしい気づかいをしている。大正12年に東大を退官しているが、この頃も午前中病理学教室へ通って研究や後進の指導にあたっていたことがわかる。 |
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■ ドイツのハレ学士院からの推戴状 大正15年(1926)11月18日。ドイツのアカデミーから会員に推戴される。 |
■ 山極勝三郎・包子夫妻 昭和3年(1928)、包子夫人の還暦を迎えて。「還暦に老い行くさまを撮らせけり」の俳句の添え書きがある。 |
| 巨星落つ | 後に大きな評価を得る |