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ノーベル賞の有力候補となる(1/5)〜晩年〜受け継がれる志

山極先生

山極先生は昭和4年にドイツからノルドホフ・ユング賞(ソフィー賞とも呼ばれた)を貰った。先生より前にこの賞を貰ったのはフィビゲルとワールブルグだった。二人ともノーベル賞を受賞するので、先生にたいする評価の高さを知ることができる。

最近、岡本拓司が受賞者選考に関するノーベル財団の文書を検討して発表している〔岡本拓司「ノーベル賞文書からみた日本の科学、1901年─1948年──(II)生理学・医学賞(北里柴三郎から山極勝三郎まで)──」科学技術史、4号、1─65頁、2000年〕。岡本によると、第二次世界大戦前の日本人候補として最も有力だったのは山極先生だった。北里は最初からそれほど有力な候補ではなかったし、野口英世は単によく名前の挙がる候補にすぎなかった。候補者決定の最終に近い段階でフィビゲルと山極先生が考慮されたが、最終段階ではフィビゲル一人が残った。こうしてフィビゲルが1926年度のノーベル賞を貰うことになった。フィビゲルは大学総長にもなり、栄光のうちに死去した。

わが国では山極先生を始め、誰もフィビゲルの仕事を疑わなかった。つまり山極先生の仕事は、人工的発癌実験という意味では世界で二番目と思われていたのである。ところが外国では、フィビゲルの仕事は賞賛されもしたが、疑いももたれていた。遂に1952年(昭和27)になって、フィビゲルの発癌実験は誤りだったことが明らかにされた。

祝賀会写真 ノルドホフ・ユング賞授賞祝賀会
ゾフィー・ノルドホフ・ユング賞は、癌に関する研究で世界的な功績をあげた 学者に対して贈られるドイツの賞。勝三郎は三人目の受賞者。授賞翌年の昭和4年(1929)3月にドイツ大使館でフォレッチ駐日大使より授与され、5月4日に病理学教室同窓会の主催により学士会館において盛大な祝賀会が開催された。

写真 ノルドホフ・ユング賞賞記
『東京帝国大学医学部病理学教室五十周年記念展覧会目録』(東京帝国大学医学部病理学教室五十周年記念会・1937・東京大学医学図書館所蔵)より

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