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学生教育、医学教育書の執筆(2/4) 〜大学教授、医学博士として〜


写真 三浦守治教授らとの記念写真
明治32年(1899)撮影。病理学教室員と講習生たち。背景の建物は解剖学教室。
〔東京大学医学部 人体病理学・病理診断学分野所蔵〕

写真 病理学教室員記念写真
明治41年(1908)、大学内の山上御殿付近にて。山上御殿は、旧加賀藩育徳園心字池(三四郎池)のそばに移築されていた江戸時代の建造物で会議室などとして使用されていた。
〔東京大学医学部人体病理学・病理診断学分野所蔵〕

写真 大学で講義中の勝三郎
明治39年〜大正2年頃、東京帝国大学での講義風景。聴講中の学生の一人に斎藤茂吉(1882〜1953・前列左から2人目)がいる。
〔斎藤茂吉記念館所蔵〕

写真 中山平次郎離任送別・長与又郎帰朝祝賀会の記念写真
明治42年(1909)7月、山上御殿玄関にて。
中山平次郎(山極の右)は、当時京都帝国大学福岡医科大学(現九州大学)の教授で、東京帝国大学へ出張講義中であった。後に考古学や歴史学の分野でも多大な業績を残した。
長与又郎(中山の右)は、明治40年からドイツに留学し、前月帰国していた。後に勝三郎の後継者となり、東京帝国大学総長まで務めた。
〔東京大学医学部 人体病理学・病理診断学分野所蔵〕

写真 「上田郷友会月報」二十五周年記念号
明治18年に勝三郎らが創立した上田郷友会の25周年記念号。明治42年(1909)12月25日発行の前編と、翌年4月30日発行の後編。
勝三郎は、「我が郷友会は上田地方人士の倶楽部として徐々に発育し、今や壮年期に達せんとす。是大に祝すべきに非らずや。…・」と創立25年を祝し、所感を寄せている。
〔山極かづ氏寄贈〕

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