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学生教育、医学教育書の執筆(3/4) 〜大学教授、医学博士として〜
■ 病理学病理解剖学第一講座担任辞令 明治43年4月26日。第一講座の三浦守治教授の退官を受けて、勝三郎が第一講座の担任教授に就任し、名実ともに日本病理学界の頂点に立った。第二講座の後任には長与又郎助教授が就任した。 |
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■ 京都帝国大学病理学教室前にて 明治43年(1910)4月、大阪で開催された第三回日本医学会に出席の折に、京都帝国大学病理学教室前で撮影。右は京都帝国大学藤浪鑑教授(1870〜1934)。藤浪は後年、勝三郎の葬儀に際して門人を代表して弔辞を捧げた。 |
■ 病理学教室員記念写真 大正4年(1915)4月中旬。新たに改装された解剖室において。 この解剖台は、第二講座長与教授(勝三郎の右)により設計された大理石製で、後年、勝三郎の病理解剖もこの解剖台で行われた。 最後列左から3人目は、大正2年から特別研究生として勝三郎のもとで勤務していた市川厚一助手。 |
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■ 教授在職25年記念祝賀会記念写真 大正6年(1917)4月6日。上野精養軒において開催された勝三郎の在職25年を記念した祝賀会。 〔東京大学医学部人体病理学・病理診断学分野所蔵〕 |