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小中学校時代(2/3) 〜少年時代〜

二度、三度と校長先生は勝三郎少年に口説きにかかった。そして度重なるごとに、正木先生の語調は強められてきた。
「勝三郎君、いいかね、この世の中で何が一番尊いものだと思うかね。お金かね、それとも土地かね。よく考えてごらん。そんなものいくらあっても命がなかったらどうなると思うかね。お前が、よく口にする“世界の人のために”という夢を、勝三郎、お前は、どんな仕事を通して実現しようと考えているのかね。」正木先生の言葉は勝三郎少年の胸を鋭く突き刺した。

勝三郎少年には大望はあったが、それを、どんな方法で、どのように実現させるのか、それが具体的には考えられていなかったのである。
「例えば、勝三郎、お前が、何か新しい治療法を考え出して病気を治したとするね。その方法は日本人ばかりではなく、同じ病気に苦しむアメリカ人でもイギリス人でも、いや世界中の人々を救うことになるんだよ。医学には国境が無いんだぞ。勝三郎、わかるかね。」
勝三郎少年の気持ちが大きく動揺したのはこの時であった。

−−このまま、中学を出ても、今の自分の家の生活程度を考えてみると、とうてい、大学への進学は望めそうにもない。しかも、父母は自分のほかに3人の子どもをかかえている。父母に今以上の苦労をかけさせることは、自分の良心が許さない。正木先生の言われる「医学に国境は無い。」ということも、もっともなことだ。自分の大望を果たすことも、男子一生の業としてりっぱなものであろう。……−
「勝三郎、いま、お前は人生の岐路に立っているんだぞ。確か16歳だったね。もう、自分の人生は、自分の責任で歩み始めなければならない年になっているんだよ。」

自分の人生は自分の責任で……勝三郎少年の意は決した。そして正木先生の前に深々と頭を垂れた。
そばで、二人の様子をじっと見つめていた年老いた父母はホッとして顔を見合わせたが、静かに上げられたその両眼にはチラッと光るものが見られた。

ここで勝三郎少年の一生の方向は決定した。
翌明治12年(1879)正月、彼は正式に山極家に養子として入ることになり、これから姓を山極と改めた。勝三郎15歳のときである。

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