小中学校時代(1/3) 〜少年時代〜
先生は、明治6年(1873)9月、11歳で、初めて作られた上田第一番小学校に入学した。この学校は後に松平(しょうへい)学校と呼び方が改められたが、多くは旧藩士の子弟が入学した。学校の始まる時刻は、男生徒は朝7時45分、女生徒は8時45分からとなっており、休みは毎月1と6の付く日と決められていた。勉強は、復読(復習読み)・暗誦(孔子などの教えをまとめた「論語」などの暗記)・読み物・体操・書取り・算術(算数のこと)・習字などであった。
明治10年(1877)、この小学校を卒業したが、成績がたいへんよかったので授業生に選ばれ、ひき続いて松平学校に勤めることとなったことは前に記した。「世界」に目を開かれたのは、このころであり、その時に使用した教科書「輿地誌略(よちしりゃく)」の感化を大きく受け、「世界に名を知られるくらいになりたい」と漠然と考えるようになった。
■ 上田第一番小学校(旧明倫堂)の建物 勝三郎が通った上田第一番小学校(公立松平学校)は、江戸時代に藩士子弟の教育のために設けられた藩校明倫堂の建物が使われていた。明倫堂は、現在の上田市立第二中学校の場所にあったが、明治維新後に上田城の本丸跡に移築され料亭として使用された。この写真はその頃の姿。 |
■ 上田第一番小学校(旧明倫堂)の建物 勝三郎が通った上田第一番小学校(公立松平学校)は、江戸時代に藩士子弟の教育のために設けられた藩校明倫堂の建物が使われていた。明倫堂は、現在の上田市立第二中学校の場所にあったが、明治維新後に上田城の本丸跡に移築され料亭として使用された。この写真はその頃の姿。 |
|
下等小学第八級 | 上等小学第八級 |
下等小学卒業 | 上等小学卒業 |
下等小学卒業時の表彰状 | 上等小学卒業時の表彰状 |