水道(すいどう)ができるまえは、共同井戸(きょうどういど)、沢(さわ)の水(みず)、部落(ぶらく)によっては川(かわ)の水(みず)を飲(の)み水(みず)として使(つか)っていました。しかし、長村(おさむら)で水質(すいしつ)が悪(わる)くなり、人(ひと)にあたえる害(がい)を心配(しんぱい)したことから、婦人会(ふじんかい)・青年団(せいねんだん)が中心(ちゅうしん)となって上水道建設(じょうすいどうけんせつ)を求(もと)めました。昭和(しょうわ)29年(ねん)ごろから今(いま)ある自然湧水(しぜんゆうすい)をつかった水道施設(すいどうしせつ)ができました。そして昭和(しょうわ)33年(ねん)10月(がつ)1日(にち)、当時(とうじ)の傍陽村(そえひむら)、長村(おさむら)、本原村(もとはらむら)の3ヶ村(かそん)が合併(がっぺい)し真田町(さなだまち)となったのをきっかけに、それぞれの村(むら)で水道組合(すいどうくみあい)をつくって、水道事業(すいどうじぎょう)がはじまりました。一方(いっぽう)、菅平高原水道(すがだいらこうげんすいどう)は2ヵ所(かしょ)の湧水(わきみず)を水源(すいげん)とした部落水道(ぶらくすいどう)でしたが、観光(かんこう)で訪(おとず)れる人(ひと)が増(ふ)えたことや昭和(しょうわ)41年(ねん)の松代群発地震(まつしろぐんぱつじしん)により水(みず)が足(た)りなくなってしまいました。そこで、7.5km先(さき)にある「つちやの沢(さわ)」から水源(すいげん)を引(ひ)いてこようと、1億(おく)7600万(まん)円(えん)をかけて菅平全域(すがだいらぜんいき)と別荘団地(べっそうだんち)に給水(きゅうすい)する上水道建設(じょうすいどうけんせつ)が、昭和(しょうわ)42年(ねん)からはじまりました。この水(みず)は四阿山(あずまやさん)の湧水(わきみず)であり、昔(むかし)から集中豪雨(しゅうちゅうごうう)があっても水量(すいりょう)・水質(すいしつ)が変(か)わらない「神(かみ)の水(みず)」として、地元(じもと)で大切(たいせつ)されています。
上田地区(うえだちく)
丸子地区(まるこちく)
真田地区(さなだちく)
武石地区(たけしちく)
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