明治(めいじ)22年(ねん)当時(とうじ)の武石村(たけしむら)は、ほとんどの家(うち)で流水(りゅうすい)を使(つか)っていたため、農耕期(のうこうき)になれば流水(りゅうすい)が少(すく)なくなり、雨降(あめふ)りのあとは泥水(どろみず)となってまったく使(つか)えませんでした。また、環境衛生状態(かんきょうえいせいじょうたい)が良(よ)くなかったことから病気(びょうき)などの発生(はっせい)をふせぐため、昭和(しょうわ)30年(ねん)に上水道建設委員会(じょうすいどうけんせついいんかい)をつくり、4,100万(まん)円(えん)をかけて全村(ぜんそん)を水道(すいどう)が通(とお)るよう工事(こうじ)を計画(けいかく)しました。特(とく)に、水源地(すいげんち)のワサビ畑(ばたけ)の補償(ほしょう)では多(おお)くの関係者(かんけいしゃ)の協力(きょうりょく)があり、また男性(だんせい)だけでなく台所改善(だいどころかいぜん)を目指(めざ)す婦人(ふじん)たちも個別(こべつ)割(わ)り当(あ)て配水管工事(はいすいかんこうじ)に協力(きょうりょく)し、まさに全村(ぜんそん)をあげて積極的(せっきょくてき)に奉仕(ほうし)しました。こうして昭和(しょうわ)31年(ねん)に「鍛横沢(たんよこさわ)」「唐沢(からさわ)」「上権現(かみごんげん)」「上余里(かみより)」の湧水(わきみず)を使(つか)った、すべて自然流下式(しぜんりゅうかしき)による水道(すいどう)が通(とお)りました。
上田地区(うえだちく)
丸子地区(まるこちく)
真田地区(さなだちく)
武石地区(たけしちく)
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