西暦 (年号) | 赤松小三郎 | 日本のできごと | 世界の動き |
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1776 (安永五年) |
アダム・スミス『国富論』刊行 アメリカ独立宣言 |
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1789 (寛政元年) | フランス革命 | ||
1808 (文化五年) | スペイン独立戦争 | ||
1831 (天保二年) | 信濃国上田城下の木町で、藩士芦田勘兵衛の二男として出生。幼名は清次郎。 | ||
1840 (天保十一年) | アヘン戦争 | ||
1842 (天保十三年) |
幼少の頃から算術家の植村重遠に算数を学ぶ。 上田藩の文武学校で学ぶ。 |
南京条約(清・イギリス) | |
1848 (嘉永元年) | 江戸に出て数学者の内田弥太郎の瑪得瑪弟加(マテマテカ)塾に入門する。 | 上田藩主松平忠優(忠固)、老中職に就任 | マルクス・エンゲルス「共産党宣言」 |
1852 (嘉永五年) | 西洋兵学者の下曽根金三郎の門に入り、蘭学、砲術等を学ぶ。 | ||
1853 (嘉永六年) | 秋に江戸から上田に帰る。 |
アメリカの使節ペリーが来航し、浦賀で開国を要求 ロシアの使節プチャーチンが長崎に来航し、日本の開港要求 |
クリミア戦争 |
1854 (嘉永七年・ 安政元年) |
上田藩士赤松弘の養子となる。 上田藩の数学助教兼操練世話役となる。 江戸に出て、勝麟太郎の門下に入る。 |
日米和親条約締結 日英和親条約締結 |
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1855 (安政二年) |
上田藩の組付御徒士格となる。弐人扶持を下さる。 長崎海軍伝習所に入校する勝麟太郎に従い、長崎に赴く。 |
日露和親条約締結 松平忠優(忠固)、老中職を罷免 |
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1856 (安政三年) |
アメリカ総領事ハリスが来日 篤姫、第十三代将軍家定と結婚 |
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1857 (安政四年) | オランダの兵法書『新銃射放論』を翻訳。 |
松下村塾が開塾 松平忠固、老中職に再任 ハリスが江戸城で将軍に謁見 |
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1858 (安政五年) |
オランダ水陸軍練兵学校の教科書を翻訳した『矢ごろのかね 小銃彀率』を出版。 小笠原鐘次郎に西洋流兵学を学ぶ。 |
松平忠固、老中職を罷免 日米修好通商条約調印 安政の大獄 |
天津条約(清・英仏露米) |
1859 (安政六年) |
長崎海軍伝習所の閉鎖により上田に帰り、再度江戸に出る。 (上田藩主松平忠固没し、松平忠礼が家督相続する。) |
吉田松陰刑死 | |
1860 (安政七年・ 万延元年) |
養父赤松弘が没し、家督を相続する。十石三人不扶持を下さる。 咸臨丸に乗船を望んだが選抜されず。 |
咸臨丸が太平洋横断 桜田門外の変、大老井伊直弼暗殺 |
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1861 (万延二年・ 文久元年) |
上田藩の数学測量世話掛となる。 赤松清次郎から赤松小三郎に改名。 和宮下向中山道警護に従事する。 |
和宮親子内親王、江戸へ下向 | 南北戦争(アメリカ) |
1862 (文久二年) | 上田藩の調練調方御用掛となる。 |
和宮、第十四代将軍家茂に嫁ぐ 会津藩主松平容保、京都守護職に就任 生麦事件 |
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1863 (文久三年) |
上田藩の大小銃并器機製造掛となる。 上田藩に藩政改革の意見書を提出する。 信州松代藩士白川久左衛門の娘たかを妻に迎える。 佐久間象山と面会する。 |
浪士組(後の新撰組)結成 長州藩、外国船を砲撃 薩英戦争 |
リンカーン奴隷解放宣言(アメリカ) |
1864 (文久四年・ 元治元年) |
一石加増され、十一石三人扶持となる。 第一次長州征討に従軍、江戸で軍備品を調達する。 横浜に通い英国士官アプリンに英学を学ぶ。 |
佐久間象山、暗殺 蛤御門の変 四国連合艦隊が下関を砲撃 幕府、第一次長州征討を発する |
第一インターナショナル |
1865 (慶応元年) |
長州征討撤兵により上田に帰り、再び江戸に出る。 下曽根金三郎の塾に再び入門する。 一八六二年版英国式歩兵操典『英国歩兵練法』の翻訳開始。 第二次長州征討に従軍、江戸・大阪間を往復する。 |
第二次長州征討発令 | |
1866 (慶応二年) |
『英国歩兵練法』の翻訳書を出版する。 父芦田勘兵衛が没し、上田に帰る。 江戸に出て更に京都に赴く。 京都の二条衣棚で家塾を開く。 徳川幕府に国政改革の「口上書」を提出する。 上田藩主松平忠礼に藩政改革の「口上書」提出する。 薩摩藩京邸でイギリス兵学を教える。 会津藩京邸で銃隊調練稽古を行う。 幕府から開成所の教官を要請されるが、上田藩が断る。 |
薩長同盟が結ばれる 第二次長州征討、幕府の敗北 徳川慶喜、十五代将軍となる 福沢諭吉「西洋事情」を著す 慶応の改革 |
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1867 (慶応三年) |
『重訂英国歩兵練法』(薩摩版)を翻訳出版する。 松平春嶽、島津久光、幕府に国政改革の意見書を提出する。 桐野利秋等により暗殺される。 遺骸は京都黒谷の金戒光明寺に葬られる。 上田城下鍛冶町の月窓寺に遺髪の墓を建てる。 上田藩は赤松家を断絶する。 |
四侯会議 大政奉還 坂本龍馬暗殺される 王政復古の大号令 |
マルクス『資本論第一巻』刊行 |
1868 (慶応四年) |
鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争 五箇条の御誓文 五榜の掲示 江戸を東京に年号を明治に改称 |
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1871 (明治四年) | 廃藩置県 | パリ・コミューン | |
1889 (明治二十二年) | 大日本帝国憲法公布 | ||
1906 (明治三十九年) | 伊東祐亨、東郷平八郎、上村彦之丞の三将軍が上田を訪れ、小三郎の霊位に弔祭料を贈る。 | ||
1924 (大正十三年) | 赤松小三郎に従五位が贈られる。 | ||
1942 (昭和十七年) | 上田城跡公園内に「従五位 赤松小三郎君之碑」が建つ。 | ||
1945 (昭和二十年) | 日本ポツダム宣言受諾 | ||
1947 (昭和二十二年) | 日本国憲法公布 | ||
2003 (平成十五年) | 「赤松小三郎に学ぶ会」(翌年に赤松小三郎顕彰会に改名)を設立。 | ||
2012 (平成二十四年) | 赤松小三郎記念館を上田市常磐城三丁目に開設。 | ||
2016 (平成二十八年) | 赤松小三郎記念館を上田城跡公園内に移転。 |