内田弥太郎・下曽根金三郎らの下で数学・暦学・地理・蘭学・砲術などを学び、その後、勝海舟の門下生となり海防学・航海術などを学ぶ。長崎海軍伝習所にも入所。
長崎海軍伝習所で航海術を学びながら、西洋の新兵器研究の必要性を感じ、「矢ごろのかね 小銃彀率」「新銃射放論」「選馬説」などを翻訳した。
松代藩士の娘と結婚し、妻の実家の紹介で佐久間象山との交流をはじめる。面会後、複数回にわたって書簡のやり取りを行っている。
「英国歩兵練法」を翻訳し出版。日本の近代兵制の基礎を築いたといわれる。「気ヲツケ」「前へススメ」「止マレ」などの号令は赤松小三郎がつくった言葉。
京都で兵法・航海術・政治などを教える。薩摩藩校・会津藩校の指導者として招かれ、門下生に中村半次郎(桐野利秋)・東郷平八郎(後の元帥海軍大将)がいる。
1867年(慶応3年)5月、松平春嶽・島津久光に「建白七策」を提出。坂本龍馬の「新政府網領八策」より時期が早く、日本の政治思想史上画期的なものとして高く評価されている。
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赤松小三郎顕彰会
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