赤松小三郎赤松小三郎

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長野県上田市内

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遺髪の墓(月窓寺)

赤松小三郎は、京都東洞院魚棚下ル(和泉町)で桐野利秋らによって殺害され、京都黒谷金戒光明寺に埋葬されました。
小三郎の遺髪は、上田へ運ばれて、鍛冶町(上田市中央6丁目)月窓寺の赤松家の墓に葬られ、遺髪の墓が建てられました。
―上田市指定史跡―

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赤松小三郎生家跡地の案内板

赤松小三郎が生まれ育った木町に案内板があります。 江戸末期に活躍した赤松小三郎の名前にちなみ、昭和5年に北の紺屋町から南の木町を通る南北道路が作られた際に「赤松町」と名付けられました。

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赤松小三郎生誕跡地

1831年(天保2年)木町の上田藩士芦田勘兵衛の次男「芦田清次郎」として生まれました。
その後、赤松家の養子になり、赤松小三郎となりました。
江戸時代の芦田家が木町に住んでいた様子が分かる上田城下町絵図が残っています。
上田古地図・絵図デジタルアーカイブ「安政年間上田城下町絵図」

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赤松小三郎記念館

赤松小三郎記念館は、上田城跡公園の上田招魂社敷地内にあります。
記念館は赤松小三郎顕彰会が運営しています。
京都の金戒光明寺にあった小三郎の墓石は風化して、はがれ始めたことから、墓石を新しくし、旧墓石は記念碑として上田に運び、小三郎の偉業を伝える資料と共に展示しています。

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赤松小三郎養家跡地

1854 年(嘉永七年・ 安政元年)、芦田清次郎は上田藩士赤松弘の養子になり、赤松家を継ぎ、赤松小三郎となりました。
養家跡地は、現在の上田市本町にあたります。
江戸時代の赤松家が住んでいた様子が分かる上田城下町絵図が残っています。
上田古地図・絵図デジタルアーカイブ「安政年間上田城下町絵図」

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赤松小三郎君之碑

昭和17年6月7日に除幕式が行われました。
赤松小三郎の門弟であった東郷平八郎が揮毫した記念碑です。
碑の裏面には615文字で赤松小三郎の略伝が記されてますが、文中に赤松小三郎の事実と違う箇所が複数あります。

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大屋神社

明治39年5月11日、依田川河畔から三将軍(伊東祐亨・東郷平八郎・上村彦之丞)が小舟に乗り、千曲川を渡った際の小舟が大屋神社社宝として残されています。

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信濃国分寺

明治39年5月11日、赤松小三郎の門弟であった三将軍(伊東祐亨、東郷平八郎、上村彦之丞)が上田を訪問し、信濃国分寺で松の記念植樹を行いました。書は額や幟で残されています。

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東郷橋

明治39年に依田川畔にお越しになった東郷平八郎を記念に命名された橋。

京都市

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小三郎の家塾

京都の家塾は「天雲塾」と称したといわれている。また場所は、二条衣棚とも四条河原町ともいわれており、はっきりした場所は不明である。

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薩摩藩邸

薩摩藩が相国寺から土地を借り受け、藩邸を造営した。小三郎は藩邸内で薩摩藩士らに英国式の新兵法などを教えた。
現上京区岡松町。京都御所の北側で、同志社大学の一部となっている。烏丸通に面して「薩摩藩邸跡」の碑と説明版がある。

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上田藩邸

上田藩の京都の拠点で、京都七本松の屋敷ともいわれた。殺害された小三郎の遺体はここに運ばれた。容体書から小三郎の惨殺の様子が窺える。
現中京区聚楽廻松下町。京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)付近一帯。

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福井藩邸

赤松小三郎は慶応3年(1867)5月17日に福井藩主の松平慶永(よしなが)(春嶽)へ議会政治を提唱した意見書を提出している。
現中京区土橋町。ANAクラウンプラザホテル京都付近一帯で、二条城の東に位置する。

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二条城

慶応3年(1867)徳川慶喜による大政奉還の舞台となる。桐野利秋の『京在日記』には小三郎が新将軍(慶喜)へ拝謁したと書かれているが、確認されていない。
中京区二条通堀川西入二条城町。

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会津藩邸

赤松小三郎は会津藩でも銃隊調練稽古を行う。また藩士の山本覚馬らと連携し「幕薩一和」に奔走する。上田藩からの帰還の強い命令に対し、会津藩では小三郎の在京延長の働きかけをしている。
現左京区吉田橘町。京都大学薬学部一帯。会津藩では主に練兵場として使用した。

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金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)

「黒谷」の通称で知られる浄土宗の6大本山の一つ。京都守護職会津藩の本陣が置かれた。
幕府は文久2 (1862) 年閏8月,新しく京都守護職を設置して親藩の会津藩主松平容保をこれに任命し、京都所司代、大坂城代をその指揮下におく強大な権限を与えた。 金戒光明寺には赤松小三郎の遺骸が葬られている。
左京区黒谷町。

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三条大橋

小三郎が暗殺された慶応3年9月3日の夜、三条大橋南の擬宝珠(ぎぼし)と四条通東洞院角に斬奸状が桐野利秋らによって張り出された。

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赤松小三郎暗殺の地

桐野利秋ら薩摩藩士の手により殺害される。
下京区和泉町の東洞院通。小三郎遭難の碑が建てられている。

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佐久間象山暗殺の地

松代藩士の佐久間象山は三条木屋町で元治元年(1864)7月、尊攘派により暗殺された。象山と小三郎の交流を示す手紙が遺されている。
中京区木屋町御池上る。高瀬川河畔に象山先生遭難碑が建てられている。

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