長野県上田市全図
大正11年(1922)
地図の編集発行人は上田市の馬場亀松、印刷は青柳石版所の石版地図である。明治末より地図記号や方位、縮尺等が完備した精度の高い地図作製と印刷技術の向上が見られる。山地や段丘崖はケバが使用され、また市内の住宅地や郊外の集落は赤色のハッチで描く近代的図式が採用されている。また、農地の土地利用を記号で表現する方法は参謀本部作製の地形図を見習ってのことであろう。
大正期の上田は蚕種業が大発展していた。上田地方は内陸の乾燥地で、千曲川原や山麓の扇状地は蚕種製造に適したカイコノウジバエの少ない良質の歩桑が栽培された。とりわけ地図に明記された、上田橋下流右岸の鴨池蚕種桑園と市街地北方の黄金沢扇状地の大星蚕種桑園は優良な歩桑栽培地であった。
明治25年小県蚕業学校が誕生、大正11年常入へ移転、また、明治44年には国立上田蚕糸専門学校が常入に設立、明治45年県立原蚕種製造所を常磐城に設置、蚕糸業先進地の象徴となった。明治33年常田館製糸の設立以後器械製糸場も地図に見るように発展、大正時代には上田の町には銀行が多数進出、「蚕都上田」と呼ばれた。
明治21年直江津線(後の信越線)が開通、上田停車場が設置され、駅周辺の整備と天神町、千曲川に上田橋架橋後三好町が成立した。大正10年上田温泉電軌(株)は三好町に発着場を設けて青木線(上田原から川西線を分岐)を敷設する。三好町から県道松本街道の道路敷を利用した路面電車軌道が読み取れる。
上田市立上田図書館蔵
解説:佐々木清司氏
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