丸子小唄

大正初期から昭和初期にかけての丸子町は製糸工場の高い煙突が林立し、1万人に及ぶ従業員で活況を呈していた。

町の中心街には料理屋や芸妓置屋が軒を並べ、50人近い芸妓が製糸業者や生糸の買付けに訪れる客の宴席をにぎわしたものである。

そんな製糸業の全盛期、当時の新民謡運動による地方小唄ブームが背景となって、昭和3年に料芸組合が中心となり、丸子町の唄の制作に乗り出した。

そして丸子在住の画家で、詩作や尺八にも長じている土屋泉石に依頼して出来上ったのが「丸子小唄」である。

料芸組合も今はなく、35ミリフィルムに保存してあったこの映像がどのような目的で作られたかは不明であるが、その内容からしてPR映像として撮影されたものと思われる。

(「信濃民謡紀行」創土社から一部引用、協力: 上丸子 斉藤光一郎様・IPAマルチメディア研究センター)

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