蘇民将来符の形信濃国分寺の蘇民将来符は、全国各地に伝わる多くの蘇民将来符の中で、形状や図柄が特にすぐれており、民芸的にも格調が高いといわれている。事実蘇民将来符について辞典や研究書を調べると、その代表的な事例として必ず信濃国分寺八日堂の蘇民将来符がとりあげられている。
この八日堂の蘇民将来符は、郷土玩具や民芸品としても昔から著名であった。山本鼎*1が編集し、日本農民美術研究所出版部より発行された「実用手工芸講座男子部、木工、木彫、塗術合本」には、明治40年代に大阪で作成刊行された「地方玩具見立」が掲載されている。この見立表に「蘇民将来」が東の方前頭5枚目として上位の番付で記載されており、当時すでに郷土玩具としても広く人々に知られていたことがうかがえる。 信濃国分寺の蘇民将来符は、その形と図柄から一般に蓑笠〔みのかさ〕姿を象徴したものとされている。素戔嗚命〔すさのおのみこと〕が高天原*2を追放され、長雨の中、青草を結んだ蓑笠をつけ、苦しみながら降っていく姿になぞらえたとする見方である。塩入良道氏は『八日堂物語』の「蘇民将来考」の中で、素戔嗚命と牛頭天王が習合されてからは、牛頭天王の身代形を蓑笠に見立てたのであろうとされている。
また、飯島花月氏はその著『花月随筆』の「蘇民将来考」の中で、太田蜀山人の『一話一言』にある「卯杖〔うじょう〕などの遺製」とする考えを引用して、蘇民将来符は魔除けである卯槌〔うずち〕や卯杖の形をとって作られたとする。卯槌、卯杖は平安時代に宮中*3等で正月上卯の日の祝に邪気*4を払うために用いられたものである。桃の材を使い1寸角で長さ3寸に作り、中心の軸に穴をあけて五色の組糸を通し、下へ総〔ふさ〕のようにさげたものである。これは中国漢代の剛卯〔ごうぼう〕を模したものとされる。この漢の剛卯は邪気を払い悪疫*5を退散させる意味があり、長さ3寸、径1寸程の大きさである。円柱、四角、六角、八角のものがあり、それに呪文の銘を入れ、中心の軸に紐〔ひも〕を通し、正月卯の日に官吏*6が腰に吊り下げる習慣があったという。このため、この漢の剛卯が蘇民将来符の原形ではないかとする説も現在考えられている。 |
*1山本鼎(やまもとかなえ)(1882-1946) 洋画家・美術教育家。愛知県生まれ。日本創作版画協会を創立、版画の普及に貢献。また農民美術運動・自由画運動を提唱、長野県に日本農民美術研究所を建設。代表作「サーニャ」「時化の朝」など。 *2高天原(たかまのはら)日本神話の天上界。古事記神話で、八百万(やおよろず)の神々がいるという天上界。天照大神が支配し、「根の堅州(かたす)国」「葦原の中つ国」に対する。たかまがはら。 *3宮中(きゅうちゅう)*4邪気(じゃき)*5悪疫(あくえき)*6官吏(かんり) |
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