門口にかけられた蘇民将来符
信濃国分寺庫裡玄関
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旅人が小丹長者に宿をことわられたが、蘇民将来という思いやりのある人に厚くもてなされ安心して休むことができた。
旅人(薬師如来の化身である牛頭〔ごず〕天王)は、柳の木に「蘇民将来子孫人也」と書き門口にかけることを教えた。その教えどおりにすると、蘇民将来の家は、子々孫々、無病息災、益々繁栄したということである。こうした一つの説話による旅人の教訓は、長い間、変わることなく、人々の間に伝承され蘇民信仰として、今も生活の中に生き続けている家庭も多いのである。
今の信濃国分寺、庫裡*1〔くり〕の玄関の両側の柱に大きな護符がどっしりとかけられている。歴史の重みを感じさせる玄関の雰囲気である。(昭和62年12月1日訪問)
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三井家は、江戸時代、南条と上塩尻(現上田市)の山論訴訟の時、庄屋をしており、大変苦労されたということである。庄屋をしていたころの家の造りである。勝手口の玄関の柱にいつの護符であろうか、一つだけかけてあった。(昭和63年3月12日訪問)
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小泉宅(上田市日向小泉)
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小泉家の玄関に43体の護符が、正月の、しめ縄を飾るように細紐でくくり、高く掲げられてあった。北側に山を背負い改造された日当たりのよい家である。70歳ほどになろうか、小泉家の奥さんが玄関の護符について語ってくれた。物静かな話しぶりに、蘇民説話が今ここで蘇〔よみが〕えるような身近さを感じた。語る人の心で説話は、説話でなくなり、語る人と説話が一つになって実話となるのである。高く掲げた大小様々な43体の護符を、もう一度ながめる。(昭和63年1月14日訪問)
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塚田宅(坂城町中之条)
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最近は、新築した時に護符を焚いてしまったという家が多い中で、塚田家は古い家の玄関にあった75体余の護符を、そのまま新築した玄関に掲げてある。その年の新しい護符は一年間仏壇に置き、二年目から玄関に掲げるということである。(昭和63年3月12日訪問)
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海野宿の家並のつづく中に小林家がある。12体の護符が玄関鴨居〔かもい〕の所に置かれているのは、この海野ではめずらしい。動かないよう釘で止め安置してある。(昭和63年11月8日訪問)
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小林宅(東部町西海野)
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