森右近大夫敗走の事

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現代語

森右近大夫敗走の事

 かくして「上方において石田以下敗北し、あるいは生け捕られ、あるいは討ち死にし、ことごとく統一された」ということが上田の城中へも聞こえてきたので、安房守は士卒を集めて「この上は天下を敵に回して華々しく討ち死にしよう」と言って、ひたすら謀を定めた。そのころ川中島には森右近大夫が在城していて、 鼠宿(塩尻口、上田市と坂城町の境)まで人数を率いて出張って来たところを、昌幸が手勢だけで岩鼻のこちらから例の黒四方(黒地に白の六文銭の入った昌幸の軍旗、馬印のこと)を押し立てて攻め寄せると、川中島勢は思いも寄らないことであったので慌て騒いだ。右近大夫も驚いて、取る物も取りあえずに引き退いた。折節日暮れになったので、右近大夫は手燭を持ちながら馬に乗って川中島まで退いた。その姿は著しく目に付いた(惨めに見えた)ということである。

○古老物語によると、天下統一の後、森右近大夫が秀忠公の御前にあった時に、秀忠公が武勇の詮議をされた。井伊掃部頭(かもんのかみ)が「右近大夫(森忠政)は先年真田に逢って逃げたというが、武勇もあったのか。いかがであるか」と尋ねたが、秀忠公からは格別の仰せはなかったと云々。

 

原文

森右近大夫敗走之事

斯テ上方ニ於テ石田已下敗北シテ、或ハ生捕レ或ハ討死シ悉ク一統スルノ由上田ノ城中ヘモ聞ヘケレハ、安房守ハ士卒ヲ集ラレテ此上ハ天下ヲ敵ニ引受テ花聲ニ討死スヘシト有テ一途ニ謀ヲ定ラレケル、其頃川中島ニハ森右近大夫在城ニテ鼠宿迄人數ヲ引具シ出張有ケル處ヲ、昌幸ハ手勢計ニテ岩鼻ノ此方ヨリ例ノ黒四方ヲ押立テ詰掛ラレケルニ、川中島勢ハ思モ寄サル事故ニ周章騒ケル、右近大夫モ驚カレ取物モ取敢スシテ引退ケル、折節日暮ニ及ケルニ右近大夫ハ手燭ヲ持ナカラ馬二乗テ川中島迄退レケル、其体イチシルクアリケルト也

古老物語ニ云ク、天下一統ノ後ニ森右近大夫秀忠公ノ御前ニ有シニ、秀忠公武勇ノ御詮議有ケルニ井伊掃部頭申サレケルハ、右近儀ハ先年眞田ニ逢テ迯申候カ武勇モ是有候哉如何卜申サレケレハ、秀忠公モ兎角ノ仰ナカリシト也、云々