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砥石城攻略

砥石城本城跡

砥石城本城跡

天文19年(1550)7月、武田軍は筑摩方面で大攻勢を展開、小笠原長時を林城に破り、約1ヶ月の間に諸城をほとんど自落させ、松本平をほぼ、手中にした後、再び村上氏にほこ先を向け、小県郡砥石城の攻略にかかります。村上氏がいつ砥石城を築城したかは不明ですが、天文19年の時点では塩田城とともに、小県における村上義清の最重要戦略拠点でした。ここを破れば、本原・横尾・曲尾まがりお・入軽井沢(上田市真田地区)をへて地蔵峠(真田と松代の境)を越え、村上の本拠地の背後へ迫ることができ、さらに北信濃方面への兵を進めることができます。

信玄は7月2日、砥石城攻めにあたって、武田氏に出仕し、地元の地理に詳しい真田幸隆に諏訪形ほかの地を宛行あてがい、活躍を促しました。

8月17日に和田城を陥落させ落合氏の出仕をうけた信玄は8月19日午後9時小県郡の長窪に到着しました。24日、敵情偵察隊は砥石城付近に到着し、二日間にわたりつぶさに敵城の視察を行っています。

砥石城遠望

砥石城遠望

27日、信玄は長窪を出発、翌28日砥石城に進み、屋降むねくだりと呼ぶ地に陣を据えました。

砥石城と屋降(むねくだり)

砥石城と屋降むねくだり

9月3日、武田軍はさらに砥石城と指呼の間にある、地元で「信玄鐘懸けの松」と伝えられる高台に本陣を寄せました。

9日酉の刻(夕方6時)から霧深い中を武田軍の総攻撃が開始されました。

この日から20日間にわたって武田方の攻撃が続けられました。

23日、これまで対立していた高梨政頼たかなしまさより(須坂市)と村上義清が和睦して、武田方についた寺尾氏の城を攻撃しているという知らせが入りました。

30日、軍議が開かれ、退陣のことが論議されました。その結果、城攻めも手詰まりの状態が続き、退却もしかたなしとなりました。武田軍が一番、恐れていたのは、村上氏と高梨氏の和睦による新手の救援隊の到着だったのでしょうか。

翌10月1日、早朝から武田軍は退却を始めました。これを知った村上軍はただちに追撃を開始しました。ちりぢりに逃げるならともかく全軍そろって退却するのは戦いの中でもいちばん難しいといわれます。

大きな犠牲をはらって主力を無事逃がすために戦う御跡衆(しんがりの軍)の苦戦ははかりしれないものがあります。御跡衆おんあとしゅうの奮闘によって主力はようやく望月(佐久市 旧望月町)までたどり着きました。

「砥石の城を落とすために出向いたが、横田備中守をはじめ、千人の者が討死にした。この嘆きはことばであらわすことができないと『勝山記』は書いています。

これが「信玄の砥石くずれ」と後世まで語り継がれる砥石城の戦いです。

村上軍の勝利は、将士の前線もさることながら、砥石城の城としての守りの堅固さを見逃すことはできません。構えが大きいというだけでなく、深入りしすぎると退路を断たれる恐れがあり攻め上がるには登路が限られているという地形を巧みに利用した文字通りの要害ようがい(敵を防ぎ味方を守るのに最適の地)であったからこそ、戦上手の武田軍を相手に一歩も引けをとらなかったのです。

翌天文20年(1551)5月26日、砥石城は、武田氏の配下になっていた真田幸隆の謀計により落城してしまいます。

天下一の戦上手といわれた甲州軍が、前の年40日もかかっても、落とすことができなかった堅固な城を落とした幸隆はどんな作戦をとったのでしょう。

信玄が甲府に引き上げた後も地元に留まり、村上の内部工作に奔走したものと思われます。その成否は、今後の命運を決するものだけに懸命な働きが続けられたのでしょう。

この年の4月・5月、武田信玄は甲府にいて屋形の普請を行い、村上方にすれば武田軍が来攻する恐れも少なく、砥石城も守兵もわずかにして、守りを手薄にしていたかと思われます。その隙をついて地理や城の状況にくわしい真田幸隆が、戦闘らしい戦闘も行わず落としてしまったのでしょう。

この砥石城攻略という快挙は、幸隆にとって二つの大きな意味を持っていました。一つは怨敵おんてき村上義清を破り、本拠地真田を奪還できたのに加え、上田平に千貫文の地を保障されたことであり、もう一つは、武田配下としての地位を確立し、以後真田氏の伸展に大きな力を得たことです。

その後、砥石城は真田氏が上田城を築くまでその居城となりますが、上田城へ移った後も上田城外護げご(周辺を守る)の城として重要視されます。

QuikTimVR砥石城跡パノラマVR

QuikTimVR砥石城跡からの遠望パノラマVR

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時代年表

年代 歴史 内容
1541 天文 10 上田地域 海野平の合戦パノラマVR
1542 11
1543 12
1544 13
1545 14
1546 15
1547 16
1548 17 上田地域 上田原の合戦パノラマVR
1549 18
1550 19 上田地域 砥石城攻略パノラマVR
1551 20
1552 21 武田信玄 関東を巡る対立
1553 22 武田信玄 川中島の戦い 第一回の戦い
上田地域 葛尾城落城
上田地域 塩田城自落
1554 23
1555 弘治 1 武田信玄 川中島の戦い 第二回の戦い
1556 2
1557 3 武田信玄 川中島の戦い 第三回の戦い
1558 永禄 1
1559 2
1560 3
1561 4 武田信玄 西上野への進出川中島の戦い 第四回の戦い
1562 5
1563 6 上田地域 岩櫃城攻略
1564 7 武田信玄 川中島の戦い 第五回の戦い
1565 8
1566 9 武田信玄 起請文提出
1567 10 武田信玄 起請文提出
1568 11
1569 12
1570 元亀 1
1571 2
1572 3
1573 天正 1 武田信玄 武田信玄逝く

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参考資料:信濃史料、信玄武将の起請文、上田市誌「歴史編・文化財編」から引用しています。