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海野平の戦い

天文9年(1540)、信虎は佐久地方に兵を出して多くの城を落としました。

このときの記録に「一日に城を三十六落とし、佐久郡を手にいれ」(『妙法寺記』)とあります。当時は土塁をめぐらした館も、物見・のろし台・小屋・砦も、皆城といっていましたから、その範囲は佐久地方全域に及んでいたわけではありません。

このころ、東信濃の雄海野氏は、本領の海野・海善寺・太平寺・東西深井(東御市 旧小県郡東部町)・上下青木(上田市)のほかに、国分寺・踏入・大久保・長島(上田市)あたりまで領地を広げ、真田郷一帯にも影響力を持ち、さらに東筑摩郡会田(松本市 旧東筑摩郡四賀村)地方にまで進出していました。

また、ほぼ現在の上田市の塩田平の全域が海野平合戦以前の村上氏の所領だったのでしょう。

小県郡・佐久郡へ勢力を広げることを画策していた村上氏にとっても海野氏は邪魔な存在でした。これは逆に海野氏にも同じことです。

天文10年(1541)5月、小県海野平(上田市蒼久保から東御市左岸南西部)で、小県地方としてはこれまでにない大きな戦いが行われました。

この戦いの様子は、(中略)『神使御頭之こうとのおとうの日記』には詳しく記してあります。

これによれば、この戦いの先に立ったものは武田信虎であり、これに力を貸すかたちで村上義清と諏訪頼重が兵を出し、戦いに加わったことになります。兵力などは不明ですが、戦国大名として次第に力を付けてきた武田勢に、信濃きっての勢力を誇る諏訪・村上勢を合わせると相当の大軍であったことが予想されます。これを迎え撃ったのは、海野氏と海野一族で祢津(東御市祢津)に拠る祢津氏、矢沢郷(上田市矢沢)に本拠を持つ矢沢氏でした。

尾野山からの海野・祢津遠望

尾野山からの海野・祢津遠望

海野左京太夫幸義さきょうだゆうゆきよし棟綱むねつな嫡子ちゃくしは、村上軍との神川の激戦に破れて戦死、戦いに敗れた海野棟綱は上野こうづけへのがれ、失った領地を取り戻すことを願って、上野国の平井城(藤岡市)にいた、関東管領の上杉憲政を頼りました。上杉憲政も棟綱の乞いを入れて自領復帰のために力を貸すことを約しました。

上杉憲政軍は、海野氏支援のため、佐久に入りましたが、武田・村上軍の出陣の手立てはなく、上杉軍は芦田郷(北佐久郡立科町芦田)を荒らしただけで関東へ帰ってしまったのです。

上杉勢の出兵は二度と行われず、棟綱の故郷へ帰るという願いはついに果たされませんでした。信濃の名族海野宗家は天文10年5月の戦をもって滅亡しました。棟綱のその後の消息はわかりません。

真田郷を本拠地にしていた、真田幸隆が棟綱に合力したという記録は残っていませんが、幸隆も海野平合戦に参戦し、海野氏敗北とともに真田郷を捨てて、上州に逃れたものと思われます。

江戸期に編さんされた『真田御事蹟稿ごじせきこう』等真田藩関係の書物では、(中略)合戦に言及したものは少ないのですが、「上州箕輪みのわの城主長野業政なりまさを頼ってしばらく身を寄せる」では一致しています。長野業政は、上杉憲政の旧臣でしたからその意味では、本家筋の棟綱とともに関東管領上杉憲政を頼った、とも考えられます。

村上氏の海野平攻めのねらいは、海野氏の壊滅にありましたから、戦いに勝利した結果、現在の上田市東部・東御市(旧東部町地域)などの海野氏領が村上氏のものになったと推定されます。しかし、天文10年以後、海野氏領に村上氏の家臣が配置されたり、所領を宛行った形跡は残っていません。

この合戦に関係して他の地方でも争いが行われていました。

小県郡の浦野(上田市浦野)に拠る浦野氏は、現浦野・越戸・青木村一帯を領有していました。青木村の山間部には奈良本・田沢・塩原に一族が入り込んで治めていました。海野平合戦に際して村上軍の主力は、浦野氏や内村方面への攻撃に向かったもののように考えられます。この時、浦野氏と村上氏の争いがどの程度おこなわれたかわかりませんが、浦野氏が村上氏に屈したことは間違いありません。

海野攻めに勝利して帰国した武田氏にとって前代未聞の大事件が起きました。甲斐に帰ってわずか二十日もたたない6月14日、21歳の嫡男の信玄によって親の信虎が駿河の今川氏の元へ追放されてしまったのです。海野平の戦いは武田氏の先立ちで始まりましたが、終わった直後、武田氏は盟主めいしゅの追放さわぎで、海野平にかかわっているどころではありませんでした。

この作戦でいちばん得をしたのは、村上氏ということになります。

QuikTimVR千曲川対岸から見た、海野平合戦場跡パノラマVR

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時代年表

年代 歴史 内容
1541 天文 10 上田地域 海野平の合戦パノラマVR
1542 11
1543 12
1544 13
1545 14
1546 15
1547 16
1548 17 上田地域 上田原の合戦パノラマVR
1549 18
1550 19 上田地域 砥石城攻略パノラマVR
1551 20
1552 21 武田信玄 関東を巡る対立
1553 22 武田信玄 川中島の戦い 第一回の戦い
上田地域 葛尾城落城
上田地域 塩田城自落
1554 23
1555 弘治 1 武田信玄 川中島の戦い 第二回の戦い
1556 2
1557 3 武田信玄 川中島の戦い 第三回の戦い
1558 永禄 1
1559 2
1560 3
1561 4 武田信玄 西上野への進出川中島の戦い 第四回の戦い
1562 5
1563 6 上田地域 岩櫃城攻略
1564 7 武田信玄 川中島の戦い 第五回の戦い
1565 8
1566 9 武田信玄 起請文提出
1567 10 武田信玄 起請文提出
1568 11
1569 12
1570 元亀 1
1571 2
1572 3
1573 天正 1 武田信玄 武田信玄逝く

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参考資料:信濃史料、信玄武将の起請文、上田市誌「歴史編・文化財編」から引用しています。