文 新潮文庫 『真田太平記』
2 上田築城
武田勝頼を破り、天下統一を目前にしていた織田信長は、京都・本能寺で明智光秀に討たれた。信長の死後織田家臣団の争いが起こり、秀吉と柴田勝家が激しく対立していたが、賤ヶ岳の戦で秀吉は柴田軍を破った。
真田昌幸は、信長亡き後の天下統一は羽柴秀吉と徳川家康のいずれかによってなされるだろうと見ている。
波乱の中で、真田昌幸が、
「どう生きるか……」
であった。
「城だ!」
と、昌幸は夢の中で叫んでいる。
ねむれぬとおもい、おもいつつ眼を閉じてみると、さすがに酒の酔いがまわってきて、いつしか眠りにおちこんでいた。
千曲川を眼下にのぞむ断崖の上に、
「おれの城を、築かねばならぬ」
上田台地に自分の本城を築くことが、昌幸の念願である。その熱望は、もはや押さえ切れぬものになってきつつある。すでに、何十枚もの城の絵図が昌幸の脳裡にたたみこまれていた。
砥石や岩櫃の城があっても、敵が上田原へ押しつめて来たならば、どうしようもない。
甲斐の武田の威勢を背後にしてこそ、砥石も岩櫃も、その存在を誇示し得たのである。
去年、武田勝頼を岩櫃へ迎えようとしたときも、
「武田家を、甲斐から信濃へ移してしまえばよい」
その意気込みが、昌幸にあったのである。
だが、これからは、すべて、
「おれひとりで、おれの国を、まもりぬいて行かねばならぬ」
そうなれば、上田台地に本城を置き、上州・沼田との幹線をしっかりとむすびつけることができる。