文 新潮文庫 『真田太平記』
13 昌幸の死
慶長十六年春、真田昌幸、幸村父子は依然として紀州九度山に幽閉されている。
昌幸は、病身ながら侍女とたわむれるほどに回復していたのだが……。
土間の一隅で顔を洗い、髪をととのえてから、三津は昌幸の病間へ向かった。
宿直の小間に入ると、家臣の益子輝四郎が、
「三津どの。昨夜は、よう、おやすみになれなんだようじゃ」
ささやいてよこした。
「御屋形様が?」
「うむ」
「もはや、お目ざめでありましょうか?」
「うむ」
「では……」
三津は、そっと襖を開け、病間へ入った。
安房守昌幸が枕から顔をあげ、
「待ちかねたわい」
と、いった。
「遅れまいて、申しわけもござりませぬ」
「よいわ。さ、早う」
尿意を堪えていたらしく、昌幸が、せかせかと半身を起こし、三津が傍へ寄った。
そのとき、急変が起こった。
昌幸の躰を小脇から引き起こそうとしたとき、またしても昌幸が身を反らすようにして、呻き声とも叫び声ともつかぬ、一種、異様な……たとえば怪鳥の鳴き声のような声を発したかとおもうと、三津の腕の中へ、がっくりと顔を埋めてしまった。
「お、御屋形様……」
三津が、愕然となった。
いつもの道化ぶりではない。
わが乳房のあたりへ押しつけられた安房守昌幸の顔色が、たちまちに変わってきたからである。
「お、御屋形……」
そのとき、ただならぬ寝所の様子に、家臣の益子輝四郎が控えの小間から飛び込んで来た。
「いかがなされた?」
「御屋形様が……御屋形様が……」
「な、何……」
益子は一目で急変を察し、廊下へ走り出て行った。
三津は、懸命に昌幸をよびつづけた。
顔色が死相に変わっていくのが、三津にもはっきりとわかった。