文 新潮文庫 『真田太平記』
15 小野のお通
元和元年五月七日の大坂夏の陣の決戦で、真田幸村の勇名は不滅のものとなった。
徳川家康をいま一歩のところまで追いつめながら、強運の家康は九死に一生を得、幸村は武運つたなく、四十九歳の生涯を終えた。
豊臣秀頼、淀君らは、大坂城内で自害し、ここに豊臣家は滅亡した。
幸村の兄真田伊豆守信之は、江戸で、幸村戦死の報を聞いた。
沼田に帰着した信幸のもとに、京都の小野のお通から届けられたものがあった。
お通は夏の陣の前に、信之と幸村の対面をとりもった、不思議な魅力をもつ才女である。
年の暮れも押しつまった或る日の夕暮れに、依然として京都屋敷の留守居役をつとめていた鈴木右近忠重が、三名の従者と共に、沼田城へ到着をした。
ちらりと右近を見やった信之が、
「この品、お通どのよりか?」
痰が喉へ絡んだような声で尋ねた。
「さようでござる」
「はて……」
すると右近が、妙に厳粛な口調になり、
「箱の中を、ごらん下されまするよう」
と、いった。
箱の紐をほどき、蓋をはらって見ると、中に、これも白絹に包まれた細長いものが入っていた。
白絹をひらき、中のものを見て、真田信之は愕然となった。
しばらくは、声もでない。
中には、ひとにぎりの髪の毛が入っていたのである。
よくよく見ると、その髪には、いくらか白いものがまじってい、血や泥のようなものがこびりついているではないか。
「殿。おわかりになられまいたか?」
「むう……」
はじめて、低く呻いた信之は、
「もしや……こ、これは、左衛門佐の……?」
「御遺髪にござる」