文 新潮文庫 『真田太平記』
17 別れゆくとき
元和八年、真田信之は五十七歳となった。一昨年、信之の妻小松殿も他界した。この年の八月、将軍・徳川秀忠が信之へ、出府を命じてきた。
登城した信之へ、将軍秀忠は、みずから国替えを申しわたした。上田から信州・松代へ移るようにとの命令であった。
伊豆守信之は、駕籠乗り物で松代へ向かうことにしていた。
ところが、出発の朝になってみると、上田城の門外から城下町、さらに街道へかけて、城下の町民たちや領民がひしひしと詰めかけ、上田に別れ去る領主の真田信之を、見送ろうとしているというではないか。
「まことか?」
「はい、この目にたしかめてまいりまいた」
と、小川治郎右衛門がこたえた。
「ふうむ……」
信之は、低く唸ったが、
「よし、着替えをいたそう。乗り物はやめにせよ。馬にて城を出よう」
と、いった。
伊豆守信之は、茶の小袖に、六文銭の家紋が入った黒の肩衣をつけ、玉松と名づけた葦毛の愛馬に乗って城門を出た。
玉松の口取りをつとめているのは、向井佐平次のむすめのはるを妻に迎え、早くも二人の男子をもうけた足軽・金子虎太郎である。
はるも子たちも、そして義母のもよも、すでに松代へ先発していた。
伊豆守信之が三の丸の大手門を出ると、そこへ詰めかけていた町民たちの、別れを惜しむ泣き声がわき起こった。