文 新潮文庫 『真田太平記』
16 遺品
元和四年の年が明けて、真田伊豆守信之は五十三歳となった。
真田幸村は、天下に武名をとどろかせて、はなばなしく討死した。奇しくも兄の信之の許から馳せ参じた向井佐平次も一緒だった。佐平次の息子、佐助も討死したと考えられる。佐平次の妻もよは現在上田にあり、娘のはるは足軽の金子虎太郎と結婚した。
草の者、お江は生き残って、信之の許で働くこととなった。
そんなある日……。
桜花もほころびはじめた或る日の午後のことであったが、上田城・三の丸の城門へ、三十前後の旅の男があらわれ、
「御城内に、足軽の田中三蔵と申されるお人がおられましょうや?」
門番に尋ねた。
「いかにも田中三蔵は、当真田家の足軽だが……」
「では、おられますのか、すぐに、お目にかかりたい。お願い申しまする」
「おぬしは?」
「摂津の百姓にて徳之助と申しまする。実は、沼田の御城内へ訪ねましたところ、田中三蔵と申すお人は、こちらへ移られたと聞きましたので……」
「いかにも、上田に移っている。しばらく待て」
長柄足軽の田中三蔵は当時五十二歳で、妻子を沼田へ残し、上田城内に起居していた。
年下の同僚に呼び出されて、三蔵は三の丸の城門へあらわれた。
「わしが田中三蔵だが……おぬし、摂津から出て来たとか?」
「はい、さようで」
「わしに何の用かな?」
徳之助が、三蔵の耳へ口をつけるようにして、
「向井佐平次というお人を、ご存知でござりますな?」
ささやいたとき、田中三蔵の顔色がさっと変わった。
「向井父子は生きているのか?」
「父ごのことは知りませぬが、佐助どのは、父も生きてはいまいというてござりました」
「では……では、佐助どのは生きていると申すのじゃな?」
「いえ、亡くなりました」
そのとき、向井佐助が百姓の徳之助へたのんだ形見の品は、無銘の短刀が一振りと、自分の遺髪であった。