文 新潮文庫 『真田太平記』
5 沼田城の小松殿
慶長五年の夏、天下分け目の戦いは、目前に迫っていた。
家康の当面の敵は、会津の上杉景勝。
真田家の当主・昌幸は、分家の長男・信幸を呼び寄せ、次男・幸村と三人でひさかたぶりに膝を交えた。しかし、信幸は豊臣家のためより天下のために家康に味方するという。敵味方に別れることになった真田父子兄弟。犬伏の陣をはらい、戦に入る前に、せめて孫の顔をと沼田城に立ち寄った昌幸だったが、その願いも空しく門は開かなかった。
沼田城の空が、赤く染まっている。
「何となされた。早う、門をひらかれよ。上田の大殿が御到着でござる」
佐藤軍兵衛が何度、呼びかけても反応はない。
それでいて、門内に多数の家来が詰めかけている気配があきらかであった。
「軍兵衛。何とした?」
「門をひらきませぬ」
「何じゃと……」
昌幸が、いぶかしげに城門へ馬を寄せて行った。
幸村は、向井佐平次を従え、馬を止めて、父の後ろ姿を凝と見まもっている。
門の傍の櫓に、灯影が見えたのは、このときである。
見上げると、武装の家来たちを従え、信幸の妻の小松殿が、櫓へのぼって来た。
同時に、他の櫓にも武装の士が、鉄砲、弓矢を構えてあらわれた。
小松殿も女具足に身をかため、鉢巻きをしめ、薙刀を掻いこんでいる。
「それなるは、上田の父君におわしまするか……」
と、小松殿は声を投げてよこした。
「おお、わしじゃ。安房守である」
「まぎれもなく、父君におわします」
「門を開けてくれい」
「わが殿は、いずれに?」
「伊豆守は、同道いたしておらぬ」
「この城は、真田伊豆守が城でござります。城の主のゆるしもなく、門をひらくことは相なりませぬ」
凛々として言い放つ小松殿を見上げ、真田昌幸は、
(これが、あの嫁か……)
むしろ呆然としていた。