文 新潮文庫 『真田太平記』
7 「別所の湯」へ向かう幸村
真田家では、当主・昌幸と幸村が西方にくみし、上田城の防備を急いでいる。
そんなある日、幸村は別所行きをおもいたった。
幸村は単身、別所の湯へ向かった。
上田城の内外は、昼夜兼行で防備がすすめられているし、砥石も同様であった。
昨日まで幸村は、上田から砥石へ通いつめ、工事の指揮に当たっていたのである。
幸村は、いつものように別所の安楽寺へ馬をあずけ、浴舎へおもむいた。
このあたりは古代からひらけた土地で、夫神岳の山ふところに温泉が湧き出し、三カ所の湯源がある。
高遠を脱出したとき、向井佐平次も、この別所の湯で傷養生をしたものだ。
湯源に設けられた浴舎は、ふとい梁と柱によって組みあげ、板屋根に石を置いてある。
温泉は、岩壁に穿たれた穴の中から滾々と湧き、小石を敷きつめた四坪ほどの浴槽からあるれ出ている。
いま、この浴舎には、左衛門佐幸村のみであった。
「もしやすると、安楽寺に泊まるやもしれぬ」
上田城を出るとき、幸村は家来にいい置いてある。